数学・物理 100の方程式

act. 20

とろとろと浅い眠りを貪り、喉の渇きが限界に達するまで布団から出ようともしなかった。
食欲は相変わらずなく、カーテンを閉め切って時間も気にせずに泣いては眠り、起きてはまた泣いて―――自堕落に過ごし、大学へ行くと決めた「明日」になっていたのも、後輩から電話がかかってくるまで気づかなかった。
『二日続けて休むなんて変だと思ったら、やっぱり風邪だったんですか』
散々泣いて変わってしまった声を誤解され、これ幸いと病気を装った。季節の変わり目は治りにくいと心配する彼に、完治するまでしばらく休むと告げた。
声同様、顔もまだまだ悲惨だったし、そもそも大学に行く気がこれぽっちも起きなかった。
(いくらなんでも来週には外に出られるだろう)
そうやって己を買い被り、ズル休みを延長した。
しかし、週が変わったからといって自動的に気力が湧いて出るはずもない。
再び巡ってきた月曜の朝、大学へ行く途中でコンビニに寄ったのだが、買い物をすませると足はごく自然に来た道を辿り、そのままアパートに帰ってしまった。
冷蔵庫に食料を入れてから、今日は行くはずだったのを思い出した―――つもりでいたが、後から思うとかなり怪しい。わざとやったとしか考えられない。
しかしその時は特に気にもせず、わずか一週間で休みボケかと気楽に考えていた。
これから行っても間に合わないのは、時計を見るまでもなく明白だ。遅れて行くのも憚られ、もう一日だけ休もうと決めた。
火曜日の朝、玄関で靴を履くために下ろした腰が妙に重く感じられたが、運動不足で片付けて、勢いをつけて立ち上った。階段を下りるだけでも疲れてしまい、その後も次第に荒くなる息に、少しは外に出た方が良かったかと後悔しつつ足を進めた。
大学の建物が見える距離まで近づいてから、ようやく事態の深刻さに気がついた。夥しい汗が全身を伝い、人目を引くほど呼吸が荒くなっていた。
電柱に縋り付いて身を支えているところを通行人に助けられ、近くのコンビニの前にあるベンチで横になった。
疲れ果てた体は自分ひとりで動かすには重すぎて、黙ってされるがままになっていたが、店員がやってきて頭上で救急車の手配を相談し始めたのにはさすがに慌てた。
大丈夫だと何度も繰り返し、店員には数分で回復すると適当なことを言って、しばらく場所を借してくれるよう頼んだ。
やがて、呼吸が少し静まるのを見計らったようなタイミングで、親切な通行人がスポーツドリンクを手渡してくれた。ゆっくりと飲み、ペットボトルが空になる頃には、息苦しさも異常な発汗も止まっていた。
即座に立ち上がり、二人に向かって迷惑をかけた侘びと礼を改めて述べ、通行人に小銭を押しつけてからアパートに帰った。
背筋を悪寒が走るのは汗が冷えてしまったせい。熱いシャワーを浴びて出直そうと思い帰途についたのだが、結局その日のうちに大学に辿りつくことはできなかった。
―――いくら気が進まないからといって、ここまで激しく体が拒むとは。
自分が思っていたよりもはるかに、心と体は密接な関係にあるらしい。
しかしほんの十日前までは普通に通っていたのだ。吐き気も眩暈も悪寒も心拍数の増大も、全ては思い込みからきている。ならば、しっかりそれを自覚すれば収まるはず。
変に思いつめたらますますひどくなると思い、懸命に自分を奮い立たせようとした。
しかしながら自覚がなかったのは思い込みの強さだけではなかった。自分の弱さについても、まるで判っていなかった。
時間を変え、経路を変え、やっと大学の敷地内に足を踏み入れたのは木曜日の夜。
一応、実験系に比べれば深夜まで粘る者は少ないが、皆無ではない。誰かに見られはしないかと冷や冷やしながら研究棟に近づいた。そして、わずかに存在する灯りのともった部屋が、自分が所属する講座ではないのを確認し、胸を撫で下ろした。
ぼんやりと建物を眺めていると、思い出があふれだしてくる。
初めてここに来たのは二次試験の下見の日だった。実際に試験を受けたのは別の会場だったが、ここに通ってみせるという決意を新たにするべく、わざわざ回り道をした。
合格発表の後も故郷に帰る前に立ち寄り、進学振り分けで志望の学科に進めますようにと心の中で手を合わせた。これまでの人生で一番幸せだった、希望に満ちた日々。
四年後、こんな惨めな気持ちで立ち尽くすことになるなんて、思いもよらなかった。
灯りが滲み、また涙がこみあげてきたのが判る。もうこれ以上先へ進めそうにない。

(つづく)


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