数学・物理 100の方程式

act. 13

少しずつ力を得て硬度と体積を増していくそれに舌を這わせながら、手を下着の中に入れて双球を撫でた。時折ゆるく握ったり揉んだりしながら、手触りと重みを楽しむ。
やがて完全に立ち上がった物に喉を突かれそうになったが、そうなる前に彼が腰を引いた。
自分の唇から逃げ出したペニスを追い、もう一度深く咥えようとしたら彼に止められた。
「無理すんな。喉まで入れなくていいから」
無理じゃないと言いたくても喉の奥を突かれて吐きそうになったことがあるため、強くは出られない。諦めて先端を舐めることにして、浅く含んで舌先で形をなぞった。見事な張りを持つ傘の部分から先端の小さな穴まで、余さずに舐めていく。
こうして口で彼を愛撫するのは大好きだ。彼の体で自分の舌が知らない部分があるのが嫌なくらいに。若い体にひれ伏す自分が、変態を通り越して妖怪じみている気もするけれど、彼が許してくれるのをいいことに、いつもペニスへの愛撫にはたっぷり時間をかけていた。
性器以外の部分はくすぐったいだけだと笑って逃げられてしまうが、手で触れるのはまだ我慢できるらしく、笑いを堪えながら全身を撫で回させてくれる。
どうしても笑ってしまうと言う彼を見て、もしや通常のセックスのやり方から外れているのかと案じたこともあった。しかしすぐに、彼に嫌がられていなければいいと開き直った。
どうせこの先、彼以外の男とする予定もなければ、そのつもりもない。
それに悠長に撫でていられるのも挿入の前後に限った話で、最中にはそんな余裕は無い。
指で、そしてより太く固い物で広げられて擦られて―――思い浮かべただけで体が疼く。
彼の物をしゃぶりながら自らの股間に手を伸ばし、ファスナーを下ろした。触りたいのは立ち上がりかけた部分ではなく、その更に奥。この後、彼に貫かれる筈の場所だ。
指先でそっと撫でてから少し押してみる。潤いが無いため指を挿入することは叶わないが、圧力を加えただけでもじわりと快感が広がる。
更にのめりこませようとしたところで、ふいに彼が身じろいだ。訝る間もなく爪先に性器を突付かれ、次いで奥に忍ばせた手を軽く踏まれた。僅か数歩先の寝室まで行くのも我慢できずに玄関先でねだった性急さを咎められたようで恥ずかしくなり、そっと股間から顔を離して伏せる。それでもまだ彼のペニスから手を離そうとしないのは、本当に恥ずかしいとは思っていない証拠だ。恥ずかしがる振りをして、彼が強引に先へ進めるのを待っているだけ。
かつて洗面所で躊躇した初心な男は、もうどこにもいない。
踏まれた手はそのままに、もう一方の手で扱き続けていると、間もなく両脇に手が差し入れられて体を引き上げられた。
軽く頬に触れる唇に、ただでさえ力の入らない足元がますます頼りなくなる。ぐずぐずになった体を彼に預けると、抱き上げられて口づけを施された。
目を閉じて彼の肩にしがみつき、飢えを隠さずに唾液を貪る。深く舌を絡めている間も、彼はしっかりした足取りで寝室に向かい、唇を離してから静かにドアを開けた。
先ほどまで手にしていた昂ぶりが嘘のような落ち着いた挙措に一抹の寂しさを覚え、贅沢になっている自分に気づく。来てもらえただけでありがたいと思うべきなのに。
未練がましい想いを断ち切ろうと小さくかぶりを振ると、軽く体が揺すられた。
「どうした?」
耳元にかかる息に、また少し体温が上がる。
「何でもない」
思い煩うことなど何も無い。あるはずがない。今から抱いてもらえると判っているのに。
つまらない物思いに耽るくらいなら、少しでも早く服を脱ぐ手順を考えた方がいい。
それでなくても時間が惜しい。明日は平日だ。今夜は泊まらずに帰ってしまうだろう。
ようやくベッドに辿り着いたばかりだというのに、残り時間を思うと焦りが募る。
早く入れて欲しいけれども口に出すのは憚られる。だが、心配しなくてもその必要は無い。
しがみつく手に力を込めれば彼には伝わる。

耳慣れない音に目を覚まし、ゆっくりと頭を巡らせた。ベッドの脇に放り出された彼の上着から、くぐもった音が響いている。おそらく携帯の着信音だ。
寝室を見回しても彼の姿はない。もっとも、いればすぐに出るか切るかしていただろう。
どうしたものかと迷っているうちに音は途絶えてしまった。溜息とともにベッドに身を沈めつつ、自分のせせこましさを恥じ入った。
彼が浴室にいるのは判っている。判っているくせに迷った振りをして、わざと他の男からの電話を彼に知らせなかった。
―――わざとと言っても、無断で出て悪態をついたり牽制したわけでもなければ、勝手に切ってもいない。可愛らしいものだ。それに、呼びに行って間に合ったとは限らない。
そこまで考えて気がついてしまった。次々と言い訳が思い浮かぶのは疚しいからだ。他の男が彼と連絡を取れなかったのを、『やった』と思ってしまった。
何が『やった』だ。やられているのはこっちの頭ではないか。
大体、男からだと決めつけるのがおかしい。男だとしても、ただの友人や家族がかけてくる場合もあるだろうに。
彼を独占することしか頭にないから発想も偏る。いまだに教えて貰えない番号にかけてくる誰とも判らない相手に嫉妬し、勝ち誇るような間抜けになる。
いっそ聞いてみようかと思って、すぐに諦めた。本人が教える必要はないと判断したのだ。
もし『なんで?』と問い返されたら絶対泣く。泣いて済むならまだいい。最悪切られる。
先週の金曜日の放課後、偶然見てしまった光景を思い出すとぞっとする。
試験範囲が発表された月曜日以降、部活動は停止期間に入り、校内は閑散としていた。
一方職員室は教師達がまだ多く残っており、いつもと変わらない混み具合だった。
とうの昔に浜崎に問題を提出していたけれど先に帰宅する度胸はなくて、隅の方で業者が持ってきた問題集のサンプルを整理していた。いつでもできるような作業でお茶を濁そうとしたのだが、他教科の教師にまで労をねぎらわれて少々居心地が悪かった。
気が咎めたのは、下心を抱えていたせいもある。
殆どの生徒は既に帰宅済みだが、六時まで開放されている図書室に僅かに残っていた。
彼が花輪と二人で勉強しているのを見かけたから、帰る姿を眺めようと校門のよく見える場所で手を動かす振りをしていただけなのに、『お疲れ様』と言われるとかえって辛い。
だったらさっさと済ませて帰ればいいのだろうが、これを逃すと来週まで彼の姿が見られないと思うと、つい意地汚くなってしまう。
―――『来ないで欲しい』なんて、言わなければ良かった。
自分から言い出したくせに、勝手なものだ。
判断自体は正しかったと思っている。よく言えた、と自分を褒めてやりたい。
けれども感情がついてこない。急速に溺れたのが怖くて距離を置いてみたものの、こんなに寂しくなるとは想像もつかなかった。寂しがっているのはこちらだけというのもまた辛いところだ―――そんなことを考えながらぼんやりと外を眺めていると、校門前に一台の車が止まった。
おぼっちゃまな生徒が多く、いかにもといった感じの高級車で送迎される者も少なくない。
夕方になると校門付近はちょっとした渋滞になる。さすがにその日は数台を数えるのみだったが、新たに登場した大型の四輪駆動車は明らかに周囲から浮いていた。
何と言って職員室を後にしたかは覚えていない。初めて見る車にも関わらず、どうして彼の男だと思ったのかも。
行ってどうするという心積もりもなかった。激情に駆られ、あてもなく飛び出しただけだ。
こちらが一線を引かねばならない場所で見せつけられるのが堪らなかった。
頭の中は見知らぬ男への罵声で一杯で、ここで下手に騒ぐと彼の学校生活を台無しにしかねないなどとは、思い及びもしなかった。
昇降口に着く頃には車の傍に数人の生徒が立ち止まっていた。
―――目立つな、馬鹿。
だが、生徒達が足を止めたのは単に車が珍しかったからではなかった。
『りっくちゃーん! 彼氏のお迎えー!』
中の一人が校舎に向けて叫ぶのを聞いて、足が滑って転びそうになった。慌てて体勢を立て直しながら校舎から出た時、すぐ横の花壇に何かが落ちてきた。
驚いてそちらを見ると、彼が立ち上がって走り出すところだった。
『りく! 待て!』
見上げると二階の窓から花輪が手を振り回していた。
『あ、危ない!』
焦って花壇の前に駆け寄ると、花輪が叫び返した。
『俺はやりません! すぐ行きますから、あのサル止めて下さい!』
窓から頭を引っ込めながら花輪が指差したのは、疾走する彼の背中だった。
―――そんなにあの男がいいのか。
スピードを緩める気配がないのを訝りもせずに僻んでいたが、そんな気持ちも次の瞬間に吹き飛んでしまった。
鈍い音とともに彼は止まった。近くにいた生徒達が後じさってしまたため、ドアに足を掛けたまま窓から伸びる腕を邪険に振り払う姿がよく見えた。
『ざけんな! 誰がガッコに来いっつったよ!』
響く怒声を喜ぶゆとりもなかった。彼がこんなに怒ったところは見たことがない。
ようやく花輪の絶叫の意味が判った。
『やめなさい!』
止める自信はないが黙って見ている訳にも行かない。殴られてもいいと意を決して間に入りかけたが、彼の肩に手が届く前に生徒達によって遮られてしまった。
『丸尾ちゃん、危ないって! ちょっと向こう行こ、ね?』
『花輪が来るまで待ってて』
その花輪に頼まれたのだと言っても取り合って貰えなかった。
―――こんな所に他の教師達が来たらどうすればいいのか。職員室からも丸見えなのに。
幸運にも、教師達より早く花輪が駆けつけてくれた。
『いい加減にしろ!』
思いきり後頭部を引っぱたかれて、さすがに彼も足を下ろして振り向いた。
『うるせえな、てめえは黙ってろ!』
『黙ってられるか、場所を考えろ! 学校で、しかも先生の目の前で何やってんだよ!』
花輪が親指で示した先に自分を見つけ、彼は舌打ちをして目をそらした。
『さっさと行け。カバンは後で持ってくから』
へこんでしまった助手席側のドアを開けて花輪が促したが、彼は乗ろうとはせずポケットからキーホルダーを取り出した。いくつかある鍵の中から素早く一つを選び出し、外して車の中に投げつけた。
投げつけられた鍵を易々と受け止めた反射神経のいい男は、肩をすくめて花輪を見た。
『悪かったな、和彦』
そう言いながら車から降りてこちらにやって来た男は、目を見張る巨躯の持ち主だった。
先ほど彼へと伸ばしていた腕を見た時点で体格が良さそうだと見当をつけていたけれども、まさかバスケ部一の長身の花輪より頭半分以上大きいとは思わなかった。
しかも大きいのは縦方向だけではなかった。さぞかし見事な筋肉の持ち主なのだろう、隣に立つ花輪を華奢だと勘違いしてしまいそうなくらいに、逞しく厚みのある体だった。
『謝らなくていいから、このバカ持ってってくんない? 噂の彼氏が見たいって野次馬がこれ以上増えると―――まあ今日は人少ないけどさ』
親しいからこそできるぞんざいな花輪の物言いに、改めて傷ついた。二人の仲は在校生達に広く知れ渡っており、親友の花輪も認めていると説明されたようなものだったからだ。
花輪の要請に、男は苦笑しつつドアを軽く叩いた。
『無理だろ。それに俺だって、ここまでされて乗っていただきたくねえよ』
『そんなに車が大事なら、最初からこんなとこ来るなよ!』
『うるせえ、チビ。へこませた張本人のくせして何威張ってんだ』
この場は花輪に任せてこっそり職員室に戻ろうと意気消沈していたのだが、激昂する彼が可愛らしく見えてしまうような余裕たっぷりの男の態度に僻み、つい口を出してしまった。


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